水族館プロデューサー 中村 元水族館プロデューサー 中村 元

中村元事務所による水族館開発・展示開発の理念
最大限利用される水族館の実現

 水族館プロデューサー中村元が水族館や展示の開発プロデュースにおいて最優先しているのは、『最大限利用される水族館』つまり「最大限の集客」「最大限の満足度」「最大限のメディア露出」の3要素です。それらを社会教育施設として全国民を対象に発揮できることを目標にプロデュースを進めます。
 これは水族館の安定した継続にも必要なことですが、展示によってできる限り多くの人たちにできる限り多くの影響を与えることこそが、囚われの身となっている生物たちへの唯一の償いであると考えているからです。
 展示のために野生の命を預かっている水族館や動物園が、利用者の少なさに平気でいたとしたら、その存在理由はありません。良い水族館動物園あるいは良い展示とは、いかに多くの人々に意味ある影響を与えられたかにのみあると考えています。
 そのような利用価値の高い水族館とするために、意味ある展示を開発するために、以下の項目を常に実行しています。

水塊展示

 『水塊』(すいかい)とは、中村元が水族館の大衆化において最も必要であるとする展示の考え方です。人々が水族館に求めているのは、ダイバーにしか体験できない海や川の、美しい水中景観や心地よい体感による感動であり、それら全てを塊にしたものが水槽展示との信念により造語したものです。
 水塊の要素は、海の果てしない広さ、水中の青色やきらめき、浮遊感、立体感、清涼感、命の躍動感など非日常的な水中感の全てです。それらをいかに魅力的に再現できるかを追求した展示が「水塊展示」です。
 水塊展示は強い集客力があるだけでありません。観覧者が水塊展示から得られるのは、命や地球に相対した時に発見する自らの哲学であり、心身をリセットする地球の潤いです。水族館はその意味では自然科学の博物館であるよりも人文科学の水族館であると考えています。もちろん科学系の博物館として生物を観察してもらうためにも、まず実際に水中にいるイメージが生まれる水塊が必要です。水中体験をしているかのような水景の中で人々はそれぞれの目で生物の魅力を発見できるのです。

顧客起点:水族館の大衆化

 中村元は顧客起点による水族館づくり、展示開発を基本にしています。多くの水族館は、生物が大好きで知識も豊富な飼育スタッフや学芸員が、生物学の教育や繁殖の目的で野生生物を展示するという傾向があります。もちろん生物学の知識は必要ですが、その知識を活かすべきはより多くの人々が関心を持ちたくなる「展示」を創造する過程です。
 この時に、展示の相手は生物への知識のないごく一般的な大衆であることを意識しなくてはなりません。また、水族館を利用する目的も多岐にわたります。
 そのため中村は、生命や地球の知識を学習しつつ、常に大衆の側であることを意識して展示開発をします。それによって誰もが驚き感動する展示をいくつも開発することができました。
 それ故に、中村はプロジェクションマッピングなどの映像で展示を飾り立てることは好みません。映像により肝心の生物や水中を見ることを阻害し、命を閉じ込めて展示することへの責任や水中世界を維持するエネルギー負荷に対する責任が取れないというのがその理由です。

展示動物福祉への考え方

 中村元は、水族館で展示する多くの野生生物をフィールドで観察してきた経験から、展示飼育環境の在り方には特別な思いを持っています。とりわけ飼育環境下での動物たちの退屈ストレスを憂えています。生物たちが活動を楽しめる環境づくりや、生き残るための心地良い刺激を飼育担当者との議論を重ねて実現し、魅力ある展示を開発するための手法の一つとしています。
 そのため、中村の展示開発では、その水族館のスタッフとのファシリテーションが欠かせません。また展示飼育スタッフや門下生である水族館動物園スタッフには、常々フィールド観察を奨励しています。

弱点を武器にする展示開発

 「弱点を武器にする」は水族館プロデューサーとしてのキャッチフレーズのようになってきましたが、そもそも日本の水族館には外部からのプロデューサーを受け入れるのは恥だとする文化があるため、中村元事務所が手掛けさせていただいた多くが、弱点が多く打つ手が見つからないという水族館でした。
 そのため弱点を活かさざるを得ない機会も多かったわけですが、中村の本質的な発想方法も、おおよそ弱点を見極めてから、それを武器に逆転活用するか、それを起点に進化させるか、埋もれていた長所を発見するか、という3つの道を検討することから始まります。
 それ故に、立地環境による強みをしっかりと利用して十分に成功している施設に対して出来ることはほとんどなく、興味もあまり持っていません。同様に、いくらでも投資するから自由につくってくれ!と言われたら途方に暮れるかもしれません。もっともそのような話しが中村元事務所にやってきたことは一度もありません。

メディアに強い展示開発

 中村元は鳥羽水族館時代の1985年に水族館・動物園業界で初となる広報部門を考案し自ら立ち上げたことで、同館を当時最も有名な水族館に導きました。その後同館を副館長で辞職するまで一貫してパブリシティを担当し、メディアで最も露出の多い水族館の座を維持しました。パブリシティこそが利用者を増やし生物への好奇心を刺激する最大の武器であるというのが中村の信念です。
 この信念は展示開発にも常に連動しています。メディアの注目を集める展示を開発すれば大衆の注目を集めるのはもちろんのこと、開発経過にもメディア発信のための話題を仕込みます。そのため、オープン時まで関わった水族館の現場からは、メディア上のヒーローが必ず何人か生まれてきました。