水族館プロデューサー 中村 元水族館プロデューサー 中村 元
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水族館-表現~大衆文化としての水族館~

掲載:丸善出版 展示学事典 施設⑨水族館-表現(2019年)

 博物館など展示による社会教育施設が、国民への教育というスタンスから、教養や知識を大衆に供するマスカルチャーへの道を辿ってきたと考えると、水族館は日本の社会教育施設の中で最も普遍的な人気のある大衆文化施設であると言える。
 大衆文化には娯楽の要素がある程度必要であるが、レジャー要素の強い水族館では、レジャーに対する正負の考え方によって、長らく大きく2つの展示方針があった。
 一つは、レジャー的要素を強く打ち出し、海獣ショーなどのエンターテイメント施設としての魅力を中心にし、集客を第一義に考えた展示と運営。そして今ひとつは、レジャー的要素を薄め、生物学の情報を伝え教育する自然科学系博物館であるべきといういささか狭隘な展示概念を持つ展示と運営である。むろん、この両者の概念が一つの水族館に共存していることも少なくない。
 この二つの展示方針は両極端でありながら、対象者を子どもとしている点で同根である。子ども連れのレジャーか、子どもへの教育かという展示の考え方である。それが大きくシフト転換し始めたのは1990年代だった。1990年以降にリニューアルや新設された水族館は、リゾート文化の導入と水槽の巨大化によって対象者を大人に向け始めた。レジャーでも教育でもない、知的好奇心を誘い刺激する展示への移行である。そこで必要とされたのは、大衆を魅了する水中世界を表現する展示技法と、大衆文化としての自然科学にとらわれない展示理念であった。

水族館における展示物とは水中世界

 博物館の展示物は概ね、社会や歴史、自然界より切り離されてきた単品の集合である。あるいは、動物園の動物は自然の生息環境から単種類で切り離されて飼育されている。しかし水族館で展示される生物は「水中」という環境そのものの一部であり、さらに近年では複数種の混合展示が主流となってきている。つまり水族館における展示物という概念は、生物にあらず水槽そのものと考えるべきなのである。
 それは利用者の側からすれば、海や川といった自然の水中に潜って、水中の疑似体験をしている感覚に近い。この疑似体験感覚こそが水族館の特殊性であり、水族館が大衆文化として利用されている最も大きな要因となっている。
 水中の疑似体験の結果、利用者は生物学や自然科学にこだわらない発見をし想像力を膨らませることができる。例えば、食との関連によって民俗学的な発想をし、群など生物の行動によって社会学的な知的好奇心が刺激されるのである。ゆえに近年の水族館の展示には、自然科学系博物館としての情報よりも、人文学系博物館としての情報の方が多いと言っても過言ではない。この利用者心理を理解することが、現代水族館において魅力的な水槽展示を開発する基本であるのは言うまでもない。

環境展示を超える「水塊」展示

 近年、水中環境を擬岩や擬木などで再現する技術が革新され、水槽の巨大化ならびに自由な成形が可能になり、さらに造礁サンゴや水草海藻の育成が盛んとなったことで、環境展示や生態展示と称される水槽展示が進化し続けている。尚、革新的な動物園によっていわゆる「行動展示」という概念が提唱されたが、行動展示が意味を成すのは、展示物たる動物が静止しているか寝ていることの多い動物園における定義であり、常態的に生物が水中を泳ぐか漂っている水族館においては、ほとんどの水槽展示がすでに行動展示であったと言える。
 水槽展示の進化は、先に述べた水族館の展示物が生物単体ではなく水槽全体であることと強く結びついており、言い換えれば、水族館の展示物の特性は水中世界の状況を再現することであると認識する必要がある。
 こうして発展してきた展示物たる水中環境は、利用者に対して、知的好奇心の刺激に加え、水中という非日常環境の体験による新たな感動を与えることができる。水中世界の非日常性を具体的に示すと「海川の不可視的広がり」「水中の浮遊感」「水による清涼感」「泳ぎ続ける生物による躍動感」などで、それらを感じる利用者の感覚はしばしば「癒し」という言葉で表現される。
 この水族館における非日常体験と、前述の水中疑似体験を得ることのできる水槽展示を総称し、筆者は「水塊展示」と定義した。水塊とは、水中世界の一部を切り取って再現することであり、生物を単体で展示することでは得られない現代水族館特有の展示概念だ。そして水塊展示こそが近年の水族館利用者に大人を増加させ、総利用者数を押し上げた最大の要因である。したがって、現代水族館の展示開発において水塊展示の追求は、利用者を増加させる意味でも、利用者の好奇心や満足度を高める上でも、最も大切な要素であると言える。

解説を必要としない展示の開発

 展示とは大衆への情報伝達手段の一つであるが、水族館の展示の現場では長らく、伝達すべき情報とは「生物学的な文字情報」であると誤解され、水槽展示に付属する解説を強調することが主流であった。しかし近年、水塊展示など観察意欲を刺激される展示が開発されることによって、解説を不可欠の情報とする考え方は改められつつあり、水槽の展示に関する解説は少なくなるか種名板だけなのが主流となってきた。つまり、解説がなくとも誰もが理解できる展示の開発こそが重要なのである。
 一方わずかながら、読みたくなる解説を開発することによって、解説そのものも展示物として成功させている水族館もある。成功の要因はハード的な革新ではなく、情報をより生活に密着したものにするなど人文学系要素を入れたり、展示者自らの体験や感想を語る表現あるいは芸術的な表現にするなど、展示者が自然科学から一歩踏み出した教養を提供していることによっている。この現象もまた、水族館を自然科学系博物館として縛ることの不合理さを証明している。