水族館プロデューサー 中村 元水族館プロデューサー 中村 元

イベントレポート

2022夏(vol.42) 〜水族館プロデューサーってなんや?〜

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中村さんは 2023年6月で水族館プロデューサーとして独立して20週年を迎えました。

テリー(司会進行)
「独立記念日!20周年!おめでとうございます!」

中村
「ありがとう!…でも、なんかちょっとタイミングがね…。(苦笑)」

そうなんです。本イベント『中村元の超水族館ナイト』は春(2月頃)・夏(6月頃)・秋(10月頃)の原則年間3回の定期開催で、本来であれば、この夏開催は中村さんの独立20週年にドンピシャのタイミングで盛大に行われるはずでした。…が、新型コロナウィルスの感染拡大(第6波)で、春開催が4月に振り替えとなった関係で、この夏開催も2ヶ月遅れの8月の開催となってしまいました。しかも、無事開催はできたものの新たに第7波が迫り来る状況…。

中村
「今日はコロナ禍前の満席状態と比べると3分の1ぐらいのお客さんしか来てへん。チケットの売れ具合を見ながら正直凹んでいたんやけど、でも、こんな時期なのに、こんな状況なのに、これだけのお客さんが来てくれたと思ったらメッチャ元気出ました!みんなありがとう!」

客席:(大拍手)

 

中村さん
テリー植田さん(司会進行)

ちょっと時期は遅くなってしまいましたが、通算42回目の超水族館ナイトは中村さんの”独立20周年記念”! 当初は第一部も二部も中村さんの独り喋りが予定されていたのですが、奇しくも夏休み真っ只中8月の開催となったこともあって、この20年の間に中村イズムに共感し、中村さんのもとに集いし門下生(中村さんを慕う全国各地の動物園・水族館で活躍中の飼育スタッフ)の皆さんが、夏休み自由研究として第二部に特別企画を持ち込んでくれました。

題して『名(迷)言で辿る中村元』!

筆頭門下生・竹島水族館 小林龍二館長
「僕らが尊敬する水族館プロデューサー・中村元さんの凄さ、偉大さを語らせて頂きます!」

テリー
「名言の『名』の字の後ろにカッコして『迷』ってついているのが気になりますね。」

確かに(笑)

中村
「そうなんよ。だから楽しみではあるんやけど、何を言い出すのか分からんからちょっと怖いなぁ(汗)。まぁ、内容次第で破門にするかも分からんな!」

テリー
「うわっ、先制パンチきた!」

客席:(笑)

名言に飽き足らず ”迷言” まで辿ってしまった門下生たちの運命はいかに!?

…と、その前に第一部です! 中村さんが水族館プロデューサーとしての20年間の歩みを自ら振り返ってくれました。さらに展示プロデュースのノウハウが詰まったマル秘資料の公開も!?

祝!独立20周年!
筆頭門下生 ”竹島水族館・小林龍二館長” が語る中村元の名言(迷言?)の数々とは!?

入場時に全員に「うねる水塊」てぬぐいのプレゼントがありました。

第一部より

■ 20年をプロデュース年表で振り返る

中村さんの水族館プロデュース20年の歴史を年表で振り返っていきます。
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 鳥羽水族館時代~独立まで 

年表は1980年から始まります。大学を卒業して鳥羽水族館に入社。大学では経営学(マーケティング)を学んでいたこともあって、営業や経営に携わるスタッフとしての採用でしたが、そのためには現場を知っておく必要があると考えた中村さんは、最初の3年間は飼育スタッフをやらせてほしいと強く志願したそうです。なお、入社時は生き物に関する知識は殆ど持ち合わせていなかったとのこと。当時の鳥羽水族館の飼育スタッフ部門は、ジュゴン班・イルカ班・アシカ班の3つのチームに分かれていて、それぞれに館内の水槽展示の業務も割り振られていました。ジュゴン班には「珊瑚礁の魚」、イルカ班には「日本の海」、アシカ班には「ペンギン・カメ・カエル」といった具合に…。中村さんはアシカ班を希望したそうです。

中村
「なぜアシカ班を希望したかというと、生き物のことを全く知らないオレでもアシカ班ならなんとかなりそうやと思ったから。アシカは犬みたいやん? いや、実際に世話をしてみたら犬と全然違ったんやけど(苦笑)、その時は犬みたいだと思っていたの。犬は好きやったからね。それとペンギンは鳥やん? 鳥ということは家で飼っていた文鳥と一緒や!」

テリー
「えええ…(絶句)」

客席:(笑)

中村
「カメは子どもの頃に飼ったことあったし、カエルは家の周りにいっぱいいて、よく捕まえて遊んでいた。これならイケると思ったわけです。」

テリー
「なるほど。そんな始まりだったんですね。」

鳥羽水族館でアシカトレーナーとしてキャリアをスタートさせた中村さんですが、実はこの時、後の水族館プロデュース業の礎となる ”もう一つの業務”も兼務していました。それが特別展の担当。特別展とは常設の展示とは別に、新しいお客さんを呼び込むために数ヶ月~半年程度の期間限定で行う企画展示のこと。

中村
「オレは学園祭とか大好きだったからね。そのノリで『やらせてください!』と言ったら任せてもらえました。2年目にはもう特別展のチームではチーフになっていたからね!」

飼育現場での修行を終えた中村さんは入社5年目となる1984年に広報担当及び展示開発担当の部門である「企画室」の設置を起案し室長に就任。

中村
「日本の水族館・動物園では初となる本格的な広報専門の部署を立ち上げました。」

今では多くの動物園・水族館において広報に担う部署が設けられていますが、それを日本で最初に作ったのが中村さんでした。

中村
「当時、鳥羽水族館ではスナメリの出産シーンをビデオに収めることに成功したんやけど、その映像は世界的にも非常に貴重なものだったので、日本はもちろん世界中のメディアで報じられました。そうしたらお客さんがいっぱい来たんです。それで、水族館の話題をいかにメディアに提供するか、それによってお客さんを増やしていけるぞと考えたんですね。また同時に来てくれた大勢のお客さんに喜んで帰ってもらいたいと思うようになりました。それで『次に新しい展示を作るときは僕にやらせてください!』と上の人に言いました。その時にOKが貰えたのは入社当初から特別展を担当し成功させてきた実績があったからです。メディアに出すだけではなく、それを見て来てくれたお客さんを満足させる展示開発までをも行う。だから単なる広報室ではなく企画室という名称にしました。」

そして、鳥羽水族館の建て替えリニューアルをプロデュースし、副館長に!

中村さん
「…で、鳥羽水族館ではこれで終わりです。副館長になって館長も見えてきたぞとなったら色々なことがあってね、鳥羽水族館を後にするしかなくなってしまったわけです。」

新しい仕事を決めて上京してきたのが20年前(2002年)の6月でした。

独立までの経緯を語る

2022/08/21