水族館プロデューサー 中村 元水族館プロデューサー 中村 元

イベントレポート

2022夏(vol.42) 〜水族館プロデューサーってなんや?〜

 ”水族館プロデューサー・中村元” 誕 

独立した中村さんが最初に携わった仕事は新江ノ島水族館の監修でした。旧・江の島水族館が閉館し、新江ノ島水族館へと移設する際の展示監修を担当。「プロデュース」ではなくあえて「監修」という言葉を使っているのは、当時の中村さんはまだ「水族館プロデューサー」とは名乗っていなかったから。

鳥羽水族館を辞めた経緯について中村さんは多くを語りませんが、相当なドロドロがあったようで、

中村
「実は水族館の仕事がホトホト嫌になっていたんです。こんな業界にいたくないなぁと考えたこともあって、全く違う業界でのプロモーションの仕事などもやってみたんやけど、自分の思うような結果が出ませんでした。でも、新江ノ島水族館の仕事をして気づいたんです。自分は水族館のことが一番よく分かっているんだなぁと。当たり前や、社会人になってから水族館のことしかしていないんやから。」

なにより大きな結果が出て、やりがいに繋がった。

中村
「鳥羽水族館でやっていた集客手法を(首都近郊にある)新江ノ島水族館で使うと(周辺の人口が違うため)リアクションがもの凄いのよ! お客さんが鳥羽でやった時の10倍ぐらい来てくれた! 」

手応えを得た中村さんは、その後、男鹿水族館(GAO)の「ひれあし’s館」や「ハタハタ」コーナーなどの新展示を担当。その際、展示の監修だけでなくリニューアルのための計画書作成まで行ったそうです。ところが、その計画書が ”県の組織” の途中で止まってしまって、なかなか決裁権を持つ上層部に届かない。痺れを切らした中村さんは知事とコネクションを持つ知人を介して、なんと面談アポを取り付け、計画書を見せなが知事に直談判を行いました。

テリー
「凄い!というか、中村さんそういう政略的なこと得意ですよね?」

中村
「まぁな(笑)。男鹿水族館は県立で、水族館運営を委託している会社があるんやけど、そこの社長や館長が、もしもコレをやってしまったら『誰々の顔をつぶした』みたいな騒ぎになって大変なことになってしまい。絶対にやったらアカンのです。でもオレはさ、外部の人間やから。」

テリー
「なるほど。怒りの持って行き場がないんですね。」

 

県知事にまさかの直談判!
外部の人間だからできるウルトラC

中村
「この頃から『プロデューサー』という言葉を使い始めるようになりました。相手が行政だったら行政に携わる人たちにどう取り入って意思や意見を伝えるかを考える。水族館も一つの会社であり一つの組織なので、その中にどんな力を働かせるかべきかを考える。あっ、これってプロデューサーの仕事やなと思うようになったのね。」

展示の監修するをだけでなく、実際にそのプロジェクトを円滑に進めていく役割をも担う。それが日本で唯一人の水族館プロデューサー・中村元です。

そして、”水族館プロデューサー・中村元” を世間に印象付けたのは、やはりサンシャイン水族館のプロデュースでしょう。さらに北海道の僻地に在って集客に苦しんでいた山の水族館を低予算で建て替え、初年度30万人(従来の15倍)を達成した北の大地の水族館のプロデュースなど中村さんの快進撃が始まります。

北の大地の水族館
水族館の展示の完成度の高さもさる事ながら、巧みなプロモーション戦略で地域ブランディングにも成功。観光地としても見事に再生させた。

 中村元に任せろ 

2011年から2013年にかけてはマリンワールド海の中道のリニューアル案件を受託。

中村
「ただ、残念なことに基本計画が出来上がって『さぁ、これから本物に落とし込んでいくぞ』という段階で、ここが水族館プロデューサーの悲しいところなんやけど、お役御免となってしまいました。まぁ、そうなってしまった理由の一つに、僕が行っている展示開発の進め方というのが挙げられるんやけどね(苦笑)」

テリー
「といいますと?」

中村さんは展示プロデュースする際、その水族館の飼育スタッフを集めてワークショップを行い、スタッフ全員の知恵を結集しながら一緒に進めていく手法を採っているそうです。ビジネスの世界で言うところのファシリテーションを水族館における展示開発に取り入れたというわけです。

中村
「なぜそうしているのかというと、独立して最初にやった新江ノ島水族館の時に、僕と設計会社だけで水族館を作ってしまったんですね。」

とても良い展示の水族館が完成したのですが、オープン後、なぜか水槽がどんどん汚れて展示がダメになっていったそうです。

中村
「それとVEと言って工事費の関係で当初の計画から削ったところがあったんやけど、そこは飼育スタッフが自分たちの手で工夫をしてくれると思っていたのね。」

例えば、水槽内に光跡を表現するような特殊照明。非常に高価であるため普通の照明に変更せざるを得えませんでした。それでも、飼育スタッフが創意工夫をしてシェードのようなものを手作りして設置すれば、当初想定していた表現に近い演出ができたはず。

42回目にして初めて聞く話も
飛び出します。

中村
「でも、そういった『飼育スタッフの手でやってほしい』と思っていたことが何一つされていませんでした。結局、彼らは『中村さんの作った水族館』『中村さんの考えた展示水槽』だと思っていて、『自分たちの水族館』『自分たちの展示』だと思っていなかったんですね。」

テリー
「なるほど。当事者意識がない。気持ちが入っていなかったんですね。」

中村
「これではアカンと思って、飼育スタッフを集めて会議からやり直しました。それをキッカケに、以降はワークショップをしながら現場の飼育スタッフ全員の力を活性化させる進め方変えたんです。そうしたら『ありがとうございました!スタッフも育ちましたので、あとはウチでやれます!』と言って途中で打ち切られることが増えた。まぁ、そら育つわな!(苦笑)」

千歳水族館のリニューアルや四国水族館(新設)も基本計画の策定まで。

テリー
「なるほど。中村さんといえばサンシャイン水族館の大成功という華々しいイメージが強いですけど、意外と厳しいというか、もどかしい経験もされてきたんですね。」

なお、マリンワールド海の中道は、ワークショップで ”中村イズム”を学び吸収したスタッフたちの努力で、素晴らしい水族館としてリニューアルオープンを遂げました。

中村
「まぁ、でも、最後までオレに任せてもらったらもっと凄いモノにできたよ! サンシャイン水族館のプロデュースを3回をやらせてもらっている間に、やっと『最後までオレがおらんとできへんのや!』と自信を持って言えるようになりました。」

マリンワールド海の中道のリニューアル計画に際して、基本理念と基本計画を中村さんが策定。2017年にオープン。

これがサンシャイン水族館の第3次リニューアル「海月空感」。

確固たる自信とプロデュースのノウハウを確立した中村さんの活躍はとどまることを知らず、韓国の63シーワールドの設計監修で初の海外案件をこなしたり、マリホ水族館の新設プロデュースを成功に導いたり、中国の巨大水族館(鄭州水族館)のプロデュースを行ったり、国内外で活躍を続けます。近年では、しながわ水族館検討関連座長を務め、ニュース等でも大きな話題となった「イルカ展示の廃止」の提言を行ったのも中村さんだそうです。年表の一番下にはリニューアルが計画されていたものの、コロナ禍の影響でまさの閉館に追い込まれてしまった京急油壺マリンパークの案件が。基本構想から基本計画策定までは進んでいたそうで、なんでも世界的にも類を見ないキタイワトビペンギンの凄い展示が計画されていた模様。日の目を見ないままとなってしまい残念です。

 


■ ○○の気持ちになって考える

20年間の歩みを振り返ったところで、中村さんが水族館をプロデュースする際の心得について。基本は「〇〇の気持ちになって考える」ことでした。

 ①生き物の気持ち 

中村さんは事ある毎に ”命を展示すること” の意味味について語ってくれています。広大なフィールドで出会う生き物たちはとても自由で、生きるか死ぬかの厳しい世界ではあるけれど、みなイキイキと楽しそうに暮らしてるす。水族館はそんな彼らを捕まえて水槽という箱に閉じ込めてしまう。

中村
「水族館っていったい何なんって思わん? 彼らを連れてきてしまった責任として、沢山の人々にその生き物を見てもらって、その生き物のこと、その生き物が棲む世界のことを知ってもらう。そして一人でも多くの人に『その命を大事にしよう!』『彼らが住むこの地球を大切にしなくちゃ』と考えてもらう。それが ”命を展示する”ということです。水族館は伝える積金と覚悟を持たなければいけない。これが僕の展示に対する基本的な考え方です。」

 

2022/08/21