2022夏(vol.42) 〜水族館プロデューサーってなんや?〜
第二部より
というわけで、ここからは中村さんの ”門下生” 達が主役の後半戦!
超水族館ナイトには水族館ファンや水族館への就職を目指す学生だけでなく、全国各地の水族館・動物園から現役の飼育スタッフ(門下生)も向学の為に大勢駆けつけます。超水族館ナイト終演後、中村さんはそんな彼らを毎回食事に誘い「チビッ子園館長会議」と題して、朝まで情報交換や討論、相談の場を設け、親身に悩みを聞いたりアドバイスを送っています。今回はその”恩返し”として、門下生の皆さんが ”琴線に触れた中村さんの名言” をピックアップし、夏休みの自由研究としてまとめてくれました。門下生を代表して研究発表を行うのは、蒲郡市竹島水族館の小林龍二館長!
<プロフィール>
小林龍二(こばやし りゅうじ)
1981年愛知県蒲郡生まれ。北里大学水産学部(現・海洋生命科学部)を卒業し、竹島水族館にUターン就職。2015年に館長に就任。様々な改革を繰り返し、過去最低の年間入場者12万人から47万人へ、V字回復を達成。
実はもう一人、サンシャイン水族館の名トレーナー・芦刈治将さんも登壇の予定でしたが、まさかの新型コロナウィルス陽性とのことで残念ながら欠席に。
小林館長
「芦刈先輩と二人で華々しく破門になろうと話していたんですが、どうしよう。一人になってしまいました…。」
客席:(笑)
■ 筆頭門下生と中村元”師匠”
自由研究の発表の前に、中村さんと小林館長の師弟関係について触れておきましょう。
小林館長は中村さんの筆頭門下生。その師弟関係は実に30年を超えます。
小林館長
「初めて中村さんに会ったのは1990年だったかな、鳥羽水族館の副館長になられた頃です。僕の地元は愛知県の蒲郡ですけど、中村さんが鳥羽水族館で本を出版されていて、それを読んで岩手から鳥羽まで会いに行いきました。僕は水族館への就職を強く希望していたんですが、地元の竹島水族館には絶対入りたくないと思っていたんです(笑)。古くてショボイ町の水族館。どれだけお客さんが来ないかもよく知っていたので。それよりかは新水族館に建て替えたばかりで大人気の鳥羽水族館に入って、ラッコやジュゴンの世話をしたいと思って…。それで、この人に近寄れば鳥羽水族館に入れるかなぁ…と。」
テリー
「あっ、打算的というか、悪知恵が働いたんですね。で、実際に会ってみてどうでした?雲の上の人みたいな憧れの人なわけですよね?」
小林館長
「はい。でも第一印象はエッチなおじさん。エッチなことばかり言うんですよ!」
中村
「おいっ!」
客席:(笑)
小林館長
「おっと、いけない。あまり余計なことを喋ると破門にされてしまう。」
テリー
「もうカウントされてますよ!(笑)」
小林館長
「中村さんと会って衝撃的だったのは、魚のことを全く喋らない人だったんですね。」
水族館への就職を熱望し、大学で魚のことを一生懸命に勉強し、鳥羽水族館以外にも 全国各地の水族館に 『どうやったら水族館に就職できますか?ぜひ職場を見学させてください』 と掛け合っていたという小林館長。見学先の水族館でも魚の話ばかりをしてきたそうです。当然、中村さんとも魚の話になるだろうと想像していたところ、
小林館長
「もう全くイメージが違う人でした。」
確かに「超水族館ナイト」でも魚そのものの話は滅多に出てきません。トークテーマとしても魚が設定されたのも過去1回(サメ)だけです。
小林館長
「中村さんに 『君はなぜ水族館に入りたいんだ?』 と聞かれたんですね。」
幼い頃から生き物が大好きだったという小林館長は、学生時代はアルバイトでお金を貯めて好きな魚を購入して飼育していました。
小林館長
「水族館に入ると、自分で水槽や魚を購入しなくても職場で飼えるんです。会社のお金で魚の飼育できて、しかも給料までもらえる。こんなおいしい仕事は他にないじゃないですか。それで中村さんに 『魚が大好きだから水族館に入りたいんです!』 と答えたら 『それではダメだ!』 と。そこから色々なことを教えてもらうようになりました。」
テリー
「それで筆頭門下生になったんですね。」
小林館長
「中村さんに 『僕を弟子にしてください!』 って言いました」
中村
「他に弟子なんていないのに『僕が ”筆頭” 門下生です!』って(笑)。まぁ、鳥羽までよく会いに来たよね。大学時代は(出身大学のある)岩手県から来てくれたからな。熱心で大したもんやなぁと感心していました。」
小林館長
「でも結局、僕は鳥羽水族館に入れなくて地元の竹島水族館に入りました。正直 『こんな水族館!』 と思っていた時期もあったのですが、中村さんがずっと気にかけてくれて、『ちょっと近くに来たから一緒でご飯でも食べよう!』と何度も誘ってくれました。ウナギを食べながら、しかもウナギを奢ってもらいながら、沢山のヒントやアドバイスを頂きました。中村さんと出会えていなかったら僕はとっくに水族館業界にいなかったもしれないですし、竹島水族館もきっと潰れていたんじゃないかと思います。」
テリー
「中村さん。すごい褒められてますよ!感謝されてますよ!」
小林館長
「このあと ”迷”言 もあるんでアゲておかないと…。」
客席(笑)
■ 門下生が厳選!中村元の名言集!
では、中村元門下生たちが厳選した名言(迷言?)を見ていきましょう。
① 水族館プロデューサーの中村元です
中村
「えっ?これが名言なの?オレが水族館プロデューサーってことは今日ここに来ている人は全員知っとるぞ?」
小林館長
「水族館プロデューサーは日本に中村さんただ一人じゃないですか!僕らが誰よりも尊敬しているのは水族館のこと、展示のことを真剣に考えてくれる中村さんなんです!魚類学研究で有名な大学の先生とかではないところが面白いと思いませんか? ダメな水族館がいっぱいできてしまっている昨今、僕らは中村さんに色々と教えて貰えているというのは凄く幸せなことだと思ってます!」
それゆえにメディアで『水族館プロデューサーの…』と名乗っている中村さんを誇らしく思えるのだそうです。
中村
「なるほど!そう言うことなら確かに名言や!」
②お客様に笑顔と感動を届けます
これは芦刈さんが選んだ名言。中村さんが教育顧問を務めるTCAグループの専門学校の巨大ポスターに記されています。同じく教育名誉顧問を務めているムツゴロウさんこと畑正憲さん(※1935年4月17日~2023年4月5日)と並び立っている様が、門下生として誇らしく感じるとのことでした。但し、このフレーズ自体は中村さんが常に語っている「水族館はお客様のためにある」を汲む形で専門学校側が創った言葉だそうで、
中村
「オレが直接言った名言ではないんやけどな。」
③水族館に来る人は魚を見ていない
小林館長
「これは僕が竹島水族館に入って間もない頃に教えて貰ったことなんですけど、すごく衝撃的だったのを覚えています。僕らは魚を飼って展示しているので、お客さんは魚を見に来ているものだと思い込んでました。」
小林館長は「そんなはずはない!」と実際にアンケート調査を行ったそうですが、
小林館長
「結果は170人中で魚を見に来たと答えた人は1人だけでした。その人はフグの調理師免許を取得したからフグを見に来たと言っていましたね。殆どの人は魚を目当てには来ていなかったんです。ウチのスタッフの中には未だにこの事実を受け入れない人もいるぐらい衝撃的な結果でした。」
では人は何を見に水族館に来ているのかというと…
④水塊なんや
中村元の代名詞とも言える「水塊」。まさに名言中の名言ですが、この言葉が誕生するに至った経緯も非常に中村さんらしさに溢れています。新江ノ島水族館のオープンに向けて展示の監修を行っていた時期に、沖縄の美ら海水族館が完成し、その内覧会に行った時のこと。圧倒的な水量を誇るに巨大な水槽(黒潮の海)に圧倒され、「こんなんズルイ!勝たれへん!巨大な水の塊やん!」と叩きのめされたそうです。
中村
「でも、よくよく見ているうちに『これって水槽やん!』と思ったんです。目の前にそり立つアクリルがいかにも水槽という感じだったし、水中を眺めていたら向かいに窓があって人の姿が見えるんよ。オレだったらもっと本物の海の中のように見せるぞ!…って。そう考えたとき『もしかしたら小さな水槽でもデッカイ海に見せられるかも分からんぞ!?』と思ったのね。」
限られたスペース、限られた水量でも「本物の海の中にいるような奥行きや広がり演出できるのではないか」という発想に至ったそうです。もちろんとっさに思いついたのではなく、何日も考えているうちに光が差した。
中村
「それを水塊と呼ぼうと決めたのね。」
中村さんの代表的な展示にサンシャイン水族館のラグーン水槽(サンシャインラグーン)があります。ビルの高層階にある水族館のため容積の小さな水槽しか設置できない制約がありました。中村さんは広がりを演出すべく横幅14メートルの曲面水槽を天井いっぱいに設置し、奥行きは殆どなかったそうですが、壁を濃いブルーに塗り、底面に傾斜をつける遠近法を駆使、擬岩をあえてリアルに作らず遠くにあるよう錯覚させる工夫…等々、あの手この手で「どこまでも続く南海のサンゴ礁の海」を表現しました。圧倒的な水中感、浮遊感・清涼感に浸ることができます。