水族館プロデューサー 中村 元水族館プロデューサー 中村 元

イベントレポート

2024夏(vol.47)~生き残る水族館・厳しい水族館~

第二部より

さて、後半戦はゲストトーク!
赤目滝水族館の初代館長・朝田光祐さんが登壇!

 

赤目滝水族館・朝田光佑 館長
日本一若い館長が誕生!

 

朝田 光祐(あさだ こうすけ)

2001年、大阪府東大阪市生まれ。
幼い頃からピアノに打ち込み、よく耳にしていた洋楽をきっかけに中学生で単身ニュージーランドのクライストチャーチへ留学。中学〜高校生時代はパイプオルガンの技術を磨きながら、夜間や休みの日に趣味の生物調査を行って過ごす。中でも国鳥キーウィの保全現場に感銘を受ける。高校の終盤に日本へ帰国後、独特の芸術的感性と、これまでの音楽経験から芸能活動を始める。コロナ禍をきっかけに生物への思いが再燃。専門学校に入学し水生生物について学ぶ。やがて日本の小型サンショウウオ専門とする同校の教授の元で、本格的に生物調査や生物の環境保全の現場に同行するようになり、それをきっかけに2022年12月、日本サンショウウオセンターを運営するNPO法人赤目四十八滝渓谷保勝会からの飼育担当職員として誘いを受ける。日本サンショウウオセンターの飼育主任を経て、2024年4月より赤目滝水族館の初代館長に就任。

 

■ 22歳の音楽家、赤目への道!

中村
「彼のプロフィールを見て、みんな『ええっ!?』とビックリしたやろ?」

日本一若い22歳の水族館長というだけでなく、努力家でバイリンガル、詳しい芸術的感性に富む音楽家で生物にも詳しいという…。(驚)

中村
「彼が赤目滝水族館の館長になるまでの道筋って凄まじいのよ!」

朝田さんはご両親の教育方針もあって、13歳で親元を離れ単身ニュージーランドに渡り、クライストチャーチボーイズハイスクールへ入学。

朝田館長
「インターナショナルと言って、日本でいう小学校3年から高校3年までが一緒になっている学校に入学しました。幼い頃から本格的にピアノをやっていたのですが、音楽の勉強を、主にパイプオルガンの演奏技術を学ぶための留学でした。」

13歳といえば小学校を卒業したばかりの年齢。全く英語が話せず、周囲に日本語を喋れる友達もいないという極めて厳しい環境での留学生活の始まり。それでも日々努力を重ね、徐々に現地の生活に慣れていったそうです。

朝田館長
「ニュージーランドのハイスクールは、大学と同じような仕組みで自分で受講する科目を選択するんですね。そこで(本格的に音楽の道を志す人が集う)ミュージックのコースを選択しました。学校にはパイプオルガンがあって、それで練習を重ねました。」

中村
「パイプオルガンが相当上手くなったんやね!?」

朝田館長
「いや、まぁ、それなりにですけど…。はい(笑)」

中村
「いや、そこは謙遜せんでもええよ! 水族館のことで威張られたらオレもムッとするけど。」

客席:(笑)

17歳の時(高校3年生の頃)にニュージーランドでの暮らしを終えて日本に帰国。音楽の経験、演奏技術を活かして芸能事務所へ。朝田さんの異色過ぎるキャリアにただただ驚かされますが、ここまで水族館に繋がる話が一つも出てきていません(笑)

 

朝田さんの異色のキャリアに
客席も興味津々。

中村
「そこからどうやって赤目四十八滝に流れ着いたん!?」

音楽家として芸能活動を始めた朝田さんですが、程なくしてコロナ禍が直撃。仕事が激減したそうです。

朝田館長
「急に暇な時間が増えてしまって…。そんな時に本当に唐突な思い付きなんですけど『生き物の勉強がしたいな!』と思ったんです。子どもの頃から生き物が好きで興味があって、一番興味があるのが恐竜なのですが恐竜は現存しないので、それに似ている爬虫類を勉強してみたいと思いました。ニュージーランドにはムカシトカゲという特殊な爬虫類がいて『そういや留学していた頃、あれ好きやったなぁ』なんて思い出しながら専門学校を調べて問い合わせの電話をかけて…。」

直感に突き動かされるように、朝田さんは大阪動植物海洋専門学校へ入学。主に両生爬虫類の勉強を始めたそうです。

朝田館長
「その学校に小型のサンショウウオの、主にエゾサンショウウオとキタサンショウウオの研究を20年以上されている教授の方がいまして、授業とは別にその先生のフィールド調査に同行するようになりました。その内の一つに奈良県内(宇陀市)でのオオサンショウウオの調査のボランティアがあったんですね。」

赤目四十八滝のある名張市(三重県)は宇陀市(奈良県)は県境で隣り合う町。

中村
「なるほど。その流れで赤目四十八滝に行くことになったの?」

朝田館長
「ちょうどその頃、日本サンショウウオセンターの前任の飼育担当の方が退職されるということで、その先生を通して『朝田、行かないか?』と私に声がかかりました。最初はお断りしていたんです。専門学校を卒業したらまた音楽の世界に戻るつもりだったので…。」

中村
「あっ、卒業したらまた音楽活動に帰るつもりやったんね?『コロナの間にちょっと趣味で自分の好きなこと勉強してみようか』みたいな?」

朝田館長
「はい、そうです。でも2度3度熱心に誘っていただいて、とにかくオオサンショウウオの世話をする人が誰もいなくて困っているということだったので、とりあえず一度は現地に行ってみようと思いました。僕は大阪に住んでいるのですが、実は赤目四十八滝のことを全く知らなかったんです。日本サンショウウオセンターという名称も聞いたことありませんでした。でも、実際に行ってみたら『メッチャ綺麗な滝じゃん!』というのが純粋な感想でした。」

中村 (三重県出身
「そりゃ三重県やもん!三重県はそうよ!」

客席(笑)

こんなにも渓谷の自然が美しいのに入山者は疎ら。大阪方面からのアクセスも決して悪くない。

朝田館長
「なんで大阪の人たちは(赤目四十八滝を)知らんのやろ?と思いました。同時に変え応えがあるな…と。やり方次第で人が押し寄せる観光地にできるんじゃないか、伸び代があると感じました。あと(日本サンショウオセンターには)他にスタッフがいなかったので、ここに務めたら自由自在やなと。結局、これも直感なんですけど『何か面白いチャレンジができるのではないか』と思って、去年の1月に就職を決めました。」

専門学校卒業までは飼育ボランティアとして通い、2023年4月に入社。朝田さんの赤目での挑戦が始まりました。

 

中村さんと朝田館長の
軽妙なトークが楽しい。

 

■ 中村さんとの強力タッグが実現!

三重県名張市にある赤目四十八滝の入山者数は1992年の35万人をピークに年々減少を続け、近年は10万人を切ることろまで減少していました。そこで名張市は観光の活性化のため、三重県内でバリアフリー観光推進による観光再生などで高い実績を持つ中村さんに白羽の矢を立て、総務省が推進する外部専門家制度を利用する形で中村さんを地域力創造力アドバイザーとして招聘。中村さんは第一手として赤目四十八滝の入口にある「日本サンショウウオセンター」を ”水族館” に変えることを提案したそうです。

中村
「実は日本サンショウウオセンター自体には入館料というものはなくて、赤目四十八滝の入山料を払うと綺麗な渓谷の入口部分にある水槽展示施設も見ることができる…、というか、そこを通ってから渓谷に進むという仕組みです。僕も子どもの頃に行ったことがあるんやけど、でも、もうすっかり寂れているのよ。」

テリー
「僕も赤目四十八滝は実家(奈良県桜井市)から割と近いので子どもの頃から何度も行っています。確かにサンショウオセンターって入口にありましたね。思い出しました。」

 

 

中村さんと朝田さんの出会いとは。

 

中村
「前半で話したように水族館はメディアなんです。寂れたサンショウウオだけの展示施設では何にもならへんけど、あれを水族館にしたら即情報発信力が生まれる。…で、彼の前にいきなりオレが現れて『ここを水族館に変えるで!』って。ひょっとしてイヤやった?」

朝田館長
「いえ全然! 自分も渓谷の入口にサンショウウだけの展示施設は要らんやろと思っていて『水族館こそあるべきだ!』という中村先生の考えに賛同できましたし、生き物のことは勉強して知っているのですが、水族館のことは全く知らなかったので、中村先生に来て頂いて本当に助かりました。ただ、ビックリはしました。中村先生のことは前々から存じ上げていたので、突然いらっしゃって『えっ、なんで!?』って(笑)」

中村
「ただ、『水族館に変えるで!』とは言ったものの、使えるお金が全然なくて、それだけではショボイことしかできないから『ああ、そうだ!彼を館長にしたら日本一若い館長として売り出せるで!』ってね。」

実際、東海テレビの密着取材が入ったり、朝田さんにスポットライトを当てたWeb記事が多数掲載されるなど中村さんの狙いは大成功…!?

中村
「でも、話題作りだけじゃない! 彼は館長になるべくしてなった人や!」

中村さんが朝田さんを高く評価しているのは、手作業でできることは自ら進んで実行したこと。3月4日に日本オオサンショウウオセンターを閉館し、4月20日のオープンに向けて赤目滝水族館に生まれ変わらせる作業が始まりました。

中村
「本当にお金も時間もない中で、ここの内装を業者に頼んだらいくらかかるだろうなんて悩んでいたら、彼が『そこは自分でペンキを塗ったりします!』なんて言い出して、本当に手作りで仕上げてくれたんよ!』

中村さんは以前こんな話をしてくれたことがあります。とある水族館の展示プロデュースをした際に、予算の都合でスタッフが後から手作業で出来るであろう部分は工事から省いたそうです。中村さんはオープンまでに当然その作業が行われているものと思っていたそうですが、なんと、やってほしいと思っていたことが何一つ実行されていなかったとのこと。お金のあるなしではなく、スタッフが来館者に展示を少しでも良く見せたいという”想い”を持っていたらこんなことにはならないそうです。

中村
「彼は知り合い頼んで新しいロゴまで作ってもらって、正直無理やろうなぁと思って敢えて『やってほしい』とは言わなかった屋外のでっかい壁面看板まで自分で塗り替えて、ちゃんと『赤目滝水族館』として生まれ変わらせてくれた。この姿勢が大事なんです!」

 

2024年4月20日、
赤目滝水族館オープン!
新ロゴの入った壁面看板に注目!

 

もちろん展示生物の採集も朝田さん自ら行います。

テリー
「空っぽでオープンできないもんね。」

朝田館長
「は。赤目四十八滝保勝会(※)の仲間にも手伝ってもらって、生物の最終にはまだまだ寒い時期だったので、この時期の活動しているであろう生き物だけに狙いを絞って探しに行きました。」

※赤目四十八滝の整備や保全、赤目滝水族館の運営元のNPO法人

中村
「そうやって展示を作っていくと『あっ、あのお客さんが水槽を見ないで通り過ぎちゃった!』とかって思うやん?」

朝田館長
「思います、思います! メッチャ思います!」

その想いが展示を良くしていく原動力になる。どうしたらもっともっとお客さんに見てもらえるか。

中村
「是非その気持ちを忘れないで良い展示、新しい展示を創っていってほしいなと思います。それと、命を展示することの意味をしっかり考えて!」

水族館が生き物を展示を行うのは、見せて伝えることで人や社会ひいては地球に良い影響を与えるため。中村さんは常々「展示を見てもらえなかったら自然界から連れてこられ閉じ込められている生き物にとってこんなに可哀想なことはない!」という話をしてくれますが、兎にも角にも来館者に見て感じてもらえること! オープン初日は見づらかったオオサンショウウオの展示も今は改善されているそうです。

 

2024/06/08