2024秋(vol.48)~動物園水族館の使命〜
■ 生息環境展示にも意外な落とし穴が!?
第一部で、中村さんが水族館における疑似体験についての話をしてくれましたが、動物園は基本的には屋外展示です。水族館のような疑似体験を目指して生息環境を模した展示を行おうとしても、こと北海道旭川市の気候では非常に困難と言わざるを得ません。
小菅
「植生からして全く違うからね。ホッキョクグマ、アザラシ、ペンギンぐらいはできるかもしれないけど、園全体ではやっぱり南方系動物が多いし…。」
小菅さんは現役時代は殆ど海外に行く機会はなかったそうですが、ただ一度だけ、日本動物園水族館協会の委員として世界会議に出席するため、米国オハイオ州のシンシナティ動物園に出張しています。「全米一環境にやさしい動物園」と呼び声の高い同園は、当時から大がかりな生息環境展示が展開されていました。小菅さんが一番驚いたと振り返るのがオランウータンの展示。
小菅
「園路からオランウータンの展示場に入っていくとね、もうそこはジャングルの世界で、霧が立ち込めて、匂いもして、音も聞こえる。見学路はウッドチップが敷かれているのだけど、本当に熱帯の森の中を歩いているような感触があった。竹やフキなども植えられていて植生もちゃんと東南アジアになっている。川が流れ、高い木があってツルが垂れていて、このツルだけは(オランウータンが安全に登れるように)フェイクだったけどね。さっき中村さんが語っていた疑似体験、ボルネオ島やスマトラ島のジャングルの中ってこんな場所なんだろうなぁって思えた。」
ただ、あまりの大がかりな生息環境展示を見せられて、
小菅
「これを旭川ではやるのは絶対に無理! 何か違う方法でやらなきゃいかんなと思ったんですよ。」
そのヒントを与えてくれたのも、そのオランウータンの展示でした。
小菅
「世界会議での自分の発表が終わって、またオランウータンを見に行ったんです。ツルを登っていくところを見たくて3時間じっと観察していました。でも、オランウータンは横にはなっても縦にはならないんだわ。登らなかった。」
翌日も小菅さんはオランウータン舎に出向いて5時間観察、しかし登らない。さらに3日目、開園から閉園まで8時間ひたすら観察を続けたものの、結局、オランウータンがツルを登る場面を一度も目にすることなく小菅さんは帰国の途に。旭川に戻ってからもオランウータンがツルを登らなかった理由をずっと考えていたそうです。

小菅
「きっとね、あれは人間の頭の中にあるジャングルの風景であって、オランウータンにはそうは見えていないんじゃないかと思ったの。ある心理学者が『チンパンジーは森を見ていない』と言っていたのを思い出したんだけど、要するにチンパンジーは自分の目の前にある木の枝は自分が使えるモノとして認識するけれども、その奥にある木の枝には全く興味がないんだって。結局、あの時のオランウータンは登ろうとしてなかったんだろうね。」。
登る理由、登る動機がない。ゆえに「ツルがツルとして見えていなかったのではないか」というのが小菅さんの推察です。
中村
「動物園・水族館で飼育されているペンギンが、プールがあるのに全然入ろうとせず陸上にばっかりいるのは、餌が陸上でもらえるのでわざわざプールにはいる理由がない…みたいな話ですか?」
小菅
「全くその通り!それで出来たのが旭山動物園のメチャクチャ低予算で作った『おらうーたん館』の ”空中散歩” 施設ですよ。」
飼育舎と運動場にある高さ17mの鉄塔の間を空中散歩(綱渡り)するオランウータンの様子が観察できるという展示。
小菅
「鉄塔(A地点)から鉄塔(B地点)へ行く目的(必然性)を作ってあげたんです。動物が行動する目的というのは、食べ物を手に入れるか、異性に出会うか、これしかないんだから。」
空中散歩施設が完成し、いよいよのお披露目の日、より強い動機付けを与えようとオヤツにいつもあげている茶ブドウ(デラアウェア)ではなく巨峰を用意したそうです。
小菅
「飼育係の中田君(現副園長)に『巨峰を買ってきてほしい』と頼んだら、ウチは貧乏動物園なのに、なんと贈答用の箱に入ったバカ高いやつを買ってきちゃって…。」
客席:(笑)
でも、その甲斐あってか、巨峰を視界に捉えたオラウータンの目の輝きがギラッと変わったのが遠目にも分かったそうです。すると、オランウータンは向かいの鉄塔へとゆっくりと慎重に渡り始めました。
小菅
「お客さんも喜んでくれて、市長にも『良かったね!』と声をかけていただいてね。」
そして、小菅さんが何より嬉しかったと語るのは、少し遅れて見学に訪れた老夫婦の会話。
小菅
「『ばあさん、見てみろ!猿が逃げとる!』って。これが俺にとっては一番の評価だった。」
動物園の展示は、どうしても「狭い檻に閉じ込められて可哀想」と思われがちですが、オランウータンの空中散歩も、実は空間(高さ)を利用した見えない檻がそこにあるのですが、
小菅
「お客さんがそれを『猿が逃げている』ように感じてくれた。あのひと言がいかに私をその気にさせたか。動物園も水族館みたいに自然環境も一緒に展示するべきだという意見もありますけど、それはお金のある動物園がやってくれれば良い。旭山みたいな貧乏動物園は、また違った方法で展示を変えることによって、お客さんに動物の凄さを知ってもらうことを目指そうと。動物園で動物を見て『可愛い』と言っている人をよく見かけるんだけど、あれは動物に対する侮辱だと思っている。お客さんに『凄い!』と言わせて初めて動物の展示が上手くいったことになると僕は考えているのね。」
そして、動物が最もカッコイイのは「動物が自分の意思で動いている時である」と小菅さん。動物たちが自らの能力を十分に発揮して行動する様を展示し、動物の凄さ、美しさ、尊さを伝える。それが旭山動物園は始めた ”行動展示” です。
■ 行動展示は飼育係の知恵の結晶
中村
「僕はね、あれに ”行動展示” というキャッチコピーを付けたのが凄いなと思うんですよ。」
小菅
「ありがとうございます。私が命名しました! 最近は ”行動展示” という言葉が辞書に載っているのを知っていますか?」
中村
「知ってます! だからちょっと悔しいんですよ、僕の考えた ”水塊” はまだ辞書に載っていないですから! そもそも水族館には行動展示という概念は要らないんですね。だって水族館の生き物たちは常に行動していますから。泳いでいないと溺れてしまうし、流されてしまう。だからズルイな、やられたなと思うんですけれど、でも、いいネーミングしましたよね。」
小菅
「俺が悔しいのはね、辞書に『小菅が作った』って載っていないんだよ!」
中村
「それはしゃあないな!(笑)」
客席:(笑)

水塊は水族館を、行動展示は動物園を
それぞれ大きく変えた。
実は小菅さんが対外的に『行動展示』という言葉を使い始めるよりずっと以前から、行動展示のコンセプト自体は旭山動物園の飼育係の間で定着していたそうです。始まりは先ほども話に出てきた飼育係が担当動物について解説をする『ワンポイントガイド』でした。
小菅
「ある時、アカハナグマの飼育担当者が『今日のワンポイントガイド、何も喋らなくていいですか?』と言ってきて、何をやるのかと思ったら、檻の中に地面に平行に1本番線を張ってね、その真ん中あたりにフックの付いた真田紐をぶら下げて、そこにバナナを刺したわけ。」
アカハナグマは長く尖った鼻を動かしてバナナの匂いを嗅ぎ付け、吊るされたバナナの下で二本足立ち上がります。…が届きません。
小菅
「もうこれだけでハナグマは鼻面が良く動いて、鼻が良く利くんだなというのが見ているお客さんに伝わるんです。さらに二本足で立てるけどジャンプはできないことも分かっちゃう。」
バナナに届かないと分かるとアカハナグマは金網をよじ登り番線にぶら下がった状態で消防士のロープ渡過ごとくのごとく真田紐の所まで向かい、最後は仰け反ってバナナを手に入れました。これにお客さんは大拍手。してやったりのハナグマの飼育担当者は『では、もう1回やります!』と言って、今度は先ほどよりも長い真田紐でバナナを吊るしました。アカハナグマは先ほどと同じようにバナナを手に入れようとしますが、今度は仰け反っても届きません。
小菅
「すると長い尻尾を揺らしながら番線の上によじ登ってね、それを見たお客さんは『ああやって尻尾でバランスを取るんだ!』って分かる。そして前脚で真田紐を手繰り寄せてバナナを手に入れた。ここでまた大拍手!」
気づけばアカハナグマの展示場の周囲には大勢のお客さん。しかも誰一人も途中で帰ろうとしなかった。こんなことは初めてだったそうです。こうなると他の飼育員も負けてはいられない。ゾウの飼育担当者はワンポイントガイドでスイカを1個丸ごと与えたそうです。
小菅
「ゾウにはこの時、初めてスイカを与えました。どうやって食べたと思う? まず前脚を折って体勢を低くして口で咥えようとした。でも、うまく咥えられなくてスイカはコロコロと横に転がってしまった。すると今度はスイカの上に片脚を乗せてね、グシャッ!と割ったと思うでしょ? 違うんだよ。! 足を乗せたまま10分、20分と過ぎていった。」
一体どうしたんだろう? お客さんも固唾を飲んでその様子を見守っていたところ、30分近く経過した頃、ようやくスイカが静かにパリッと割れました。
小菅
「ゾウの飼育担当者はもう得意満面! みなさん『皆さん、ゾウが勢い良くスイカを割ると思いましたか? そんなそんなゾウはいませんよ! ゾウは今日生まれて初めてスイカを見たんですよ。この丸くて美味しそうなものが、もしもボーリングの玉のように硬かったら、ゾウは足を捻挫してしまうんです。野生のゾウが足を捻挫したら歩けなくなって死んでしまうんです。もしも、中に棘が入っていて足に刺さってしまったら、やはり歩けずに死んでしまうんです。」
だから時間をかけて少しずつ力を加えて慎重に慎重にスイカを割った。
小菅
「『ゾウと言うのはそれほどに思慮深い生き物で、野生でも前脚が着いた同じ場所に後ろ脚を着くんです。だから本当に狭い足跡しか残らないんですよ』という話をするとお客さんが『なるほど!』って食い入るわけよ。」
以来、旭山動物園では、飼育係が『あれをやろうと』『これをやろうと』と次々と行アイデアを出し合うようになり、中には専用に施設がないと実現しないものもあって、それに特化した施設が次々と作られていきました(小菅さんはこれを「舞台」と呼んでいます)。言葉で説明しなくても一目瞭然。動物が行動で全部示してくれる。それが行動展示です。