水族館プロデューサー 中村 元水族館プロデューサー 中村 元

イベントレポート

2024春(vol.46)~命の輝く水族館〜

■ 展示の変遷と命の輝き

ここで中村さんが専門学校や大学(学芸員コース)で『展示論』の講義を行う際に使用している資料を使って、水族館における展示の変遷について解説してくれました。

 

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中村
「水族館の展示は時代々々で変化しているんやけど、水族館が変えようと思ってそうなっているのではないんです。社会(観覧者) の興味の変化が展示の在り方を変えているんですね。そして、その社会の興味を変えているがマス媒体からの情報です。」

①水族館黎明期(1982年以前)

昭和の中期から後期の時代。人々はテレビ・新聞・雑誌から情報の殆どを得ており、とりわけテレビは圧倒的な影響力を持っていました。逆に言えば、テレビで扱われない情報は世間に広まりづらい時代。当時、生き物に関するテレビ情報は殆どありませんでした。故に水族館で来館者の興味を惹いたのは ”既によく知られている名称の生き物”たち。例えば、カメやカエル、ペンギン…。あとは食卓に並ぶ魚など。

中村
「水族館に来たお客さんは珍しい生き物よりも先ず『鯛やヒラメの舞い踊り』だったんです。しかも、スナメリを見た人の多くが 『うわぁ、でっかいハマチ!』 と言っていたんです。これホントよ? 信じられる? イルカが魚だと思われていた、それぐらい人々が生き物のことを知らない時代でした。」

ちなみにこの頃の水族館は動物園の亜流のように扱われていて、利用者数も動物園よりずっと少なく、命が輝いているとはいい難い状況でした。しかし、あるテレビ番組をキッカケに水族館で命が輝き始めます。

 

②動物ブーム期(1983年~2009年)

1983年にTBS系列でクイズ番組『わくわく動物ランド』が始まりました。瞬く間に人気番組となり高視聴率を連発。当時、鳥羽水族館に在籍していた中村さんが紹介したラッコやジュゴンをはじめ、ウーパールーパー、エリマキトカゲ…等々、番組で紹介された生き物たちが一夜にして国民的アイドルとなるなど、日本中に ”動物ブーム” が巻き起こりました。1993年からは後継番組『どうぶつ奇想天外!』が放送され、2009年3月まで様々な動物の姿がお茶の間に紹介されました。

中村さん
「これらの番組のおかげで『生き物ってイキイキしているんだ!』という当たり前のことが社会にやっと知れ渡ったんですね。生き物ってこんなに可愛いんや! こんなに一生懸命に子供育てするんや! こんな愛情表現をして交尾するんや! ということがテレビを通してとやっと分かったんです。分かったら本物を見に行きたくなるやん?」

テリー
「ですね! 僕も『わくわく動物ランド』を見て、親に頼み込んで鳥羽までラッコを見に連れて行ってもらいましたから!」

中村
「あの頃のラッコは輝いていたよね! ラッコがお腹の上で貝をカンカンと叩いて割っている姿だとか、赤ちゃんを大事に育てる姿だとか、番組を見て『うわぁ、こんなことする生き物がおんねん!』って。 テレビで見た映像の記憶と、水族館に来て見た実物の生きている姿が合わさった時、本当に命が輝いて見えたんです。」

 

テリーさんも中村さんが起こしたラッコブームに夢中になった一人。

 

動物ブームの間に水族館界にはもう一つ大きな変化がありました。それは水槽の巨大化。バブル景気で盛んに内需拡大が謳われ、リゾート法が制定・施行され、日本各地で大規模な再開発が行われました。

テリー
「日本各地にテーマパークとかいっぱいできましたよね。」

日本の国土は山地が75%を占めており、大規模な再開発を行うとなると必然的に臨海部が中心となります。『集客力が高く、巨額の投資を十分に回収できる水族館が最適解である』との風潮が高まり、結果、世界最大級を謳う巨大水族館が続々と誕生していきました。

③水塊時代(2010年~現在)

バブルが崩壊し、ややもすると大味な巨大水族館から再びコンパクトな水族館へと回帰していきます。そして時代は20世紀から21世紀へ。この頃になると、映画『ディープブルー』や『皇帝ペンギン』などが公開され、またNHKが自然番組の制作に力を入れるようになり「生きもの地球紀行(1992-2001)」、「ダーウィンが来た!(2006-) 」などのドキュメンタリー番組が人気を集めました。それにつれて今まで知ることができなかった海の中の光景や、そこで繰り広げられる生き物たちの生態を、映像として目にする機会が増えていきます。

中村
「すると世の中に人々も水族館に同様の水中世界を期待し始めたですね。そのことに逸早く気づいた ”どこかの賢い超水族館プロデューサーみたいな人” がいらっしゃってですね、水塊というものを作ったわけです!(ドヤ顔)」

本物の海の中を切り取ったような水中感・浮遊感・清涼感に溢れる非日常の世界を水槽に再現し、そこで生き物を見せることで命の躍動を伝えることができる。中村さんの ”水塊”は大ヒットし、今や水族館展示のデファクトスタンダードとも言えるものとなっています。水塊の中での生物の行動や美しさは、正に ”命の輝き”そのものでした。

中村
「だけどオレ、ちょっと水塊という言葉を言い過ぎたのかも分からんなぁ…。水だけが輝いて命が輝いていない水族館がいっぱい出来てしまった。それらの水族館のホームページを覗いてみると、途中まではオレの言う ”水塊”のコンセプトと同じことが書いてあるわけよ。なのに結果が出来た水槽がコレか?と。」

テリー
「水塊の意味が捻じ曲げられてしまっているんですね。キレイな水中だったらOKみたいな?」

中村
「だから水族館はもう一度原点に返って命を輝かせることを真剣に考えないとあかんと思ってます。最近やたら増えているクラゲに色のついた光をガンガン当てて、光を見せているのかクラゲを見せているのか分からんような水槽っていうのは絶対にやったらあかんよ! クラゲ可哀想やん!」

 

中村さんの「クラゲに色を付けてはいけない」との発言に客席からは同意の拍手も。

 

2024/02/24